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 HOME > レポート > 動物実験施設に入室して、考えたこと。  
 

レポート

動物実験から日本の医療を考える

動物実験施設に入室して、考えたこと。

M.A

乱雑な実験施設

「あっ!」思わず挙げた悲鳴と同時に、私は一旦下ろした足を慌てて再び宙に浮かしました。

 某医大新研究棟建設のためのヒアリング(聞き取り調査)時に、現況調査のため既存の一研究室に入った時の出来事です。ぐにゃりとした足先のえもいわれぬおぞましい感触に一瞬肝を潰しました。

 研究室内の狭い通路に捨て置かれているビニール袋の端を不注意にも踏んでしまったのです。「足元には十分気を付けて下さい。部屋が手狭でいろいろと散らかっていますから…」研究室助手の注意に喚起されて、私はぬかるみを渡るように恐る恐る爪先立ちで、通路にはみだして置かれている異物を避けて通りました。「犬の遺体なんです。実験用の…」中身は何とかいぶかっている私の様子に触発されてか、即座に何の屈託もない表情で明るい答えが返ってきました。

 何と異様な光景でしょう。所狭しと床上にも置かれた器具類の間に、カゴやオリに入った実験中の動物や遺体が見え隠れしているのです。正にも糞も味噌も一緒の乱雑さです。研究室内で半ば公然と動物実験が行われているのです。

生命への畏敬の念の欠落

 医学系大学の研究室ですから、無論ある程度の先入観と少々のことでは動ぜぬ心構えはありました。しかし、私が一番驚かされ、違和感を禁じ得なかった事は、彼等研究者の言動に一片の「生命への憐憫や畏敬の念」が感じられなかった事です。

 動物実験もまた尊い生命を「医学の進歩」、ひいては「医療・福祉の向上」のために捧げてくれているのです。それとも怜悧な科学者の目には、単に物言わぬ実験用物体としか映らないのでしょうか。医師になる人の精神構造は、私達常人とは本質的に違うのでしょうか。人はその成育期にペットの誕生や死を通じて「生命の神秘」に厳粛になり、情緒ある人間性が自然と育まれて行くのです。彼等には犬や猫を愛する心の余裕がなかったのでしょうか。それとも、全ては日本の偏差値偏重教育に責任があるのでしょうか。

 動物実験は本来は動物実験室で行われるのが原則ですが、研究室と動物実験室が離れている場合が多く、それでは実験の迅速性や日常の観察にも不便を来します。従って、どうしても設備の整っていない研究室内に実験動物を持ち込むことになるのです。この度の改築も、各所に分散している研究室を一施設内にまとめ、各研究室間のコミュニケーションの円滑化と設備の共用化を図る事にあります。

実験施設の構造

 動物実験室は動物の血液や汚物で汚れるため、室内の仕上げは水洗いできる耐水・防水仕様にするのが普通です。施設内の動物実験室を集約してまとめれば施設計画上は合理的・経済的ですが、実験室が研究所と離れるのは研究の内容によっては極めて不都合です。また、各研究室に分散して動物実験室を設けるために、施設全体を防水仕様にするのは極めて不経済であり、管理上も煩雑です。

 従って、研究のための利便性を最優先させ、防水仕様は犬やサルなどの比較的大型動物を扱う動物実験室に限定して、動物実験室は適宜各研究室毎の分散配置となりました。従って、動物舎から各研究室に犬を連れて来る場合などは、建物内の通路やエレベーター内を糞尿で汚されないために、犬の習性を利用してわざわざキャンパス内を一巡し、施設外で排尿をさせてから建物内につれ込むことにしました。

医学教育の貧困さ

 しかし、医学系大学の研究室で行われている多くの動物実験の実態は、あくまでも研究のための実験であり、臨床のための研究にはなっていないのが実情です。多くの研究者は学会等での発表や学位論文のために、決して医療の向上にもならない無益な動物実験を繰り返しているのです。
 このことは、一度でも学会に参加して彼等の研究発表を聞けば一目瞭然です。医学の進歩や医療に無関係な研究があまりにも多いのには唯々唖然とさせられます。日本の医学教育には、医師として不可欠な「生命への尊厳」や、「患者とのコミュニケーションの在り方」等について教育する機会に欠如していると言えます。最近の新聞報道によりますと、京都大学は「2003年度の医学部入試試験から[生物学]を必須科目とする」と発表しました。新入生の9割が入試で[生物学]を選択しておらず、基礎知識の不足から大部分の医学生が生命科学の講義を理解していないことにようやく気付いたからです。

 京都大学医学部が「医学は生物学と深い関係にあり、医療従事者にはあらゆる生命に対する知識と愛情や畏敬の念が不可欠である」ことを再認識したことは、日本の医療向上のために大いに喜ばしい事です。

医師に求められるもの

  医師は弁護士や建築家と同じくサービス業です。医師には、「真に[奉仕の精神]に則り、患者との目線を同一にして患者の病んだ心身に宿る心を励まし、生命の尊さを自覚させ生きる勇気を培う」責任があります。医療とは、病気を克服するという手段により人類の幸福を追求する職種です。しかし、それは決して他者の犠牲の上に成り立つものではありません。自分の幸福は必ず他者の幸福であり、他者が幸福であってこそ自分の幸福があるという「自利即利他」の精神が、「究極のサービス業」である医療にこそ絶対に欠かせないのではないでしょうか。

 現代日本人は、本人の好むと好まざるとに係わらず、「病院で産まれ、病院で死ぬ」宿命を負わされています。肉親の誕生や死に直接立ち会うことが少なく、また、ペットを飼う事が許されない居住環境に余儀なく住まわされている私達は、日常生活の中で「生命について厳粛になる機会」に欠如していると言えます。

 人の誕生が医療ではなく「健全な生命の自然の証」であり、より豊かな人生のために、「自然の摂理としての尊厳死」を率直に受容することこそ大切です。

患者も実験動物なみ

  「患者への人種軽視」とあまりにも「わびしい療養環境」のため、欧米人は日本の病院には決して入院したがりません。日本の病院では患者の人間としての「基本的権利」は存在せず、あるのはただ義務だけです。そこでは、患者は常に実験動物並なのです。かつて、ライシャワー駐日アメリカ大使が東大病院に入院したときに、完全にマスコミを拒否して一切のお見舞いを固く辞退した話はよく知られています。親日家の大使としては、日本を代表する東大病院でさえ、患者の基本的な「人間としての尊厳」を無視したあまりにもわびしい医療環境であることを世界中にさらす事により、日本が甚だしくイメージダウンすることを強く恐れたのです。

 「PATIENT」は英語で患者を指しますが、同時に「耐える・我慢する」という意味があり、迫り来る運命に為す術もなくじっと耐え忍ばねばならなかった患者の悲痛な叫びがその中に切実に込められています。患者の権利憲章を院内の人目に触れやすい場所に掲げて、「患者の人権」を最大限尊重しているアメリカの病院では、患者はもはや「PATIENT」ではなく「CLIENT」と呼ばれつつあります。

生命への尊厳ある医療を

 昨今、臓器移植や生殖医療がマスコミ等の話題になっています。それらが新たなビジネスとして急激に成長しつつあるのを見るにつけても、単純には医学の進歩であり「動物実験の成果」であるとして喜べません。それは、まさしく甚だ思い上がった人類の「造化の主への冒涜」です。自然環境の破壊に歯止めを掛け、健全な地球を再生して人類を滅亡から救うためには、地球上の全ての生態系との共生を図らなければなりません。「あらゆる生命への尊厳」こそ、人類が決して冒してはならない「永遠の聖域」と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 
 
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